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EARLの医学ノート

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敗血症をメインとした集中治療,感染症,呼吸器のノート.医療におけるAIについても

ARDSの変遷と診断基準の問題点

■敗血症領域において,あるいは呼吸器集中治療領域においてARDSはいまだに死亡率の高い疾患であり,有効な治療薬がない本疾患攻略は永遠の課題である.その治療にあたり,ARDSの診断基準などには問題点が多い.ARDS診療を的確に行っていくためにも,ARDSを診断基準からとらえるのでなく病態生理の観点から正確に見極める必要がある.ARDS診断基準の問題点を含め,以下にARDSの変遷を記す.

■急性呼吸窮迫症候群(ARDS:Acute Respiratory Distress Syndrome)が認識されはじめたのは,気道確保や人工呼吸が行われるようになった1950年代以降である.それまでは数時間で死亡していた急性呼吸不全の症例が,人工呼吸器を装着することで数日から数週間生存できるようになり,さらには回復するものもでてきた.急性発症でびまん性の両側性肺浸潤影を呈するこの疾患が見られるのは人工呼吸器装着患者に限られていたため,当初は人工呼吸器が原因と考えられ,“respirator lung syndrome”と呼ばれたこともある[1].ベトナム戦争従軍医師は,胸部以外の外傷で出血性ショックになった負傷兵の中に,ショックから蘇生した後に急性呼吸不全を起こし,死亡する者がいることに気づき,“wet lung”や“shock lung”,ベトナムの地名から“Da Nang lung”と呼んだ[2]

■1967年にAshbaughとPettyらによって,ARDSの疾患概念が初めて報告された[3].この文献では,外傷,脂肪塞栓,急性膵炎,肺炎,誤嚥など様々な原因により急性呼吸不全をきたした12人の症例を報告しており,酸素投与に不応性の低酸素血症,肺コンプライアンス低下などの臨床的特徴や,肺胞内ヒアリン膜形成や炎症細胞残屑などの病理学的特徴も記述している.このときすでに,「PEEPを使えば,肺虚脱を防いで酸素化が改善するので時間稼ぎにはなるが,原因疾患を治療しなければ予後は不良である」ことが指摘されていた.この報告により,初めてARDSの疾患概念が広く知られるようになった.その当時はまだARDSとも呼ばれておらず,文献タイトルも“acute respiratory distress in adults”となっていた.

■そして,AsgbaughとPettyによる1971年の発表[4]で“adult respiratory distress syndrome”と名づけられ,ARDSという略語が使われるようになる.これは当時既に知られていた“infant respiratory distress syndrome(IRDS)”に対比してつけられたが,その後,ARDSは成人・小児いずれにも起こることが分かり,アメリカ・ヨーロッパ・コンセンサス会議(AECC:American-European consensus conference on ARDS)により“acute respiratory distress syndrome”と統一され,2000年には急性肺傷害(ALI:Acute Lung Injury)が追加された.これが現在のALI/ARDSである.

■AECCによる診断基準が作られた頃,臨床研究では大規模な無作為比較試験(RCT:randomized controlled trials)の信頼性は高いと評価され,多くの検討が開始されだした.そこで,依然として治療成績が改善しないALI/ARDSに対しても大規模RCTを行うことにより,効果的な治療方法が見つけだされると期待された.しかし,そのためには多数の患者を登録する必要があった.そのため,単純で簡便な診断基準がAECCにより作り上げられた.これによりALI/ARDSに対して新しい人工呼吸様式や新しい薬剤による多くの大規模RCTを行われるようになった.しかし,その結果のほとんどはnegative dataであり,未だに有効な新しい治療薬は何一つ提示されていない.ひとたびRCTで否定的な結果が出た場合に,現状ではその治療方法についてのRCTが再び行われることは有り得ず,多くの治療方法が消えていった.

■このように,多くの医療関係者がARDSに対する様々な研究を行っているにもかかわらず,新たな治療法が見出されてこない原因の1つとして,AECCによるALI/ARDS診断基準[5]に問題がある.AECCの診断基準はあくまでもentry criteriaであり,あまりにも幅が広いため,逆に診断において確実性,正確性が問題とされる.その原因は炎症と病理学的診断が含まれていないことに集約される.AECCの定義は簡潔で使い易いが,その基準となる4つの項目は全て問題がある.これらの基準はすべて曖昧であり,わずか2つの陽性基準(両側肺の浸潤影,低酸素血症)と1つの陰性基準(心不全の否定)から作られており,診断基準とするには信頼性に乏しい[6]

■胸部X線所見やPaO2/FiO2比(P/F比)はprone positionによる体位変換や人工呼吸時のPEEPレベルなどの初期治療により容易にその値が変わる.胸部X線所見や酸素化能などはARDSの臨床経過を調べるには有用かもしれないが,予後に関するARDSの重症度の評価にはならない.このようなことから,AECCの定義はARDS患者の異なる背景を考慮に入れるにはあまりにも幅広い概念であり,不十分である[7].また,AECCの定義は肺での生理学的異常にのみ焦点を絞っているため病因の違いは無視されている.AECCの定義に合致する程度の肺の異常所見は,臨床においてはARDSに特有のものではない.

■AECCの定義は肺以外の臓器不全の存在をまったく評価していないことも問題である.ARDSは様々な原因疾患に由来する症候群であり,その背景は多岐にわたる.また同様に原因疾患が異なることからARDSという症候群へと発展する過程もそれぞれ異なることを考慮していないため,原因となる背景の臓器不全の程度や病態生理が反映されていない.診断時における肺以外の臓器不全の存在がARDSの予後を決定するのに重要な因子であると報告されている[8,9].ARDS患者で純粋に呼吸不全が原因で死に至る割合は9-16%に過ぎず,多くは他の臓器不全の進展により死亡するとされている[10-12]

■ARDSに対する多くの治療法が効果を示せない中,サブグループ解析を行うと多くのRCTでその治療効果が認められることがある.すなわち,AECCによるARDSの定義はARDS患者における治療効果を判定するには患者背景はあまりにもheterogeneousになりすぎている.その中で現在確認されていることは,pulmonary ARDSとextrapulmonary ARDSとは異なった病態であるということである.感染,ショック,外傷などによりARDSが生じる生化学的および炎症性メカニズムの解明により新しい定義が作り出されれば,新しい治療方法により反応する患者を特定することが出来るかもしれない.AECCの定義はARDSが臨床上確認された時点での生化学的,免疫学的,病態生理学的な過程に基づいたものではない.つまり,ARDSに至る過程のhomogeneityが欠如していることは異なった病態の患者を混同することになる.ARDSを導くinflammatory cascadeは複雑であり,多くの過程が関与して炎症反応が活性化されており,そのメカニズムは各々の初期の病態生理学的変化により異なっている.したがって,異なった過程がARDSを発生しているため,AECCで定義されたARDS患者が同じ治療に反応するとは限らないわけである.

■2011年10月5日にヨーロッパ集中治療学会(ESICM)で,ARDSの新しい診断基準が発表された.この診断基準ではPEEPがある状態でのP/F比を用いており,軽症,中等症,重症に分類して治療法を定め,ALIという名前は消えた.しかしながら,この診断基準も原疾患を考慮したものとは言えず,今後のさらなる改訂が待たれる.

■まずは,多彩な原因からARDSへと発展する過程を解明すれば,それによりARDSの重症度を決めることができる.また症状が変化していく臨床経過において,より早期に新しい治療方法の研究に登録することができ,さらに同一の過程を持つ適切な患者を登録することができる.そうすることにより特殊な治療に反応するであろう患者を標的にすることができる.また,予後を左右する臓器不全の存在は,登録基準とされるよりもend pointとして用いることができるようになる.ARDSの発症メカニズムを考慮した定義にはAECCのような簡便性は失われるかもしれないが,同一の免疫学的,生化学的状態から生じる病態を判別することができれば,より早期に同一のグループを選び出すことができる.このように厳密な定義を用いればRCTへの登録患者数は制限されるが,ARDSの治療成績を向上に繋がる可能性がある.実際にサブ解析やhomogeneousな症例集積報告がでてきている.

[1] Minn Med 1967; 50: 1693-705
[2] Circulation 1973; 47: 921-3
[3] Lancet 1967; 2: 319-23
[4] Chest 1971; 60: 233-9
[5] Am J Respir Crit Care Med 1994; 149: 818-24
[6] Crit Care Med 2003; 31: S276-84
[7] Crit Care Med 2000; 29: 232-5
[8] J Clin Invest 1990; 86: 474-80
[9] Am J Respir Crit Care Med 1995; 152: 1818-24
[10] Am J Respir Crit Care Med 2002; 165: 443-8
[11] Am Rev Respir Dis 1985; 132: 485-91
[12] Eur Respir J 1997; 10: 1297-300
by DrMagicianEARL | 2012-04-09 13:40 | 敗血症性ARDS

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