医療介護関連肺炎診療ガイドライン(NHCAPガイドライン)の背景と問題点
Summary1.NHCAP診療ガイドラインの概要・作成に至る背景
・市中肺炎(CAP)でも院内肺炎(HAP)でもない,介護施設や在宅医療の患者による肺炎(HCAP)が米国で提唱されており,CAPやHAPと異なる抗菌薬の使用法が必要とされている.
・本邦と米国で医療社会的背景が異なるため,米国のHCAPにあたる本邦独自の医療介護関連肺炎(NHCAP)が提唱され,その診療ガイドラインが2011年に日本呼吸器学会より発表された.
・NHCAPはその重症度よりも起因菌(耐性菌)によって予後が変わりうる.
・NHCAP診療ガイドラインはそのほとんどが抗菌薬に内容を割かれており,口腔ケア,リハビリテーション,誤嚥予防薬に関する記載は極めて少ない.
・NHCAP診療ガイドラインにおける耐性菌リスクの基準は,検出菌の解析によるものであり,起因菌によるものではなく,ガイドラインが推奨する抗菌薬が,治療・耐性菌出現抑制の観点で適切かどうかは根拠が乏しい.
■2011年に日本呼吸器学会より医療介護関連肺炎(NHCAP)診療ガイドラインが作成・発表された.本ガイドラインはEBMの手法により作成され,エビデンスレベルと推奨グレードの分類は,医療技術評価総合研究医療情報サービス事業Mindsに準じて行われている.作成委員は以下の通りである.
委員長
河野 茂 長崎大学病院
作成委員
関 雅文 大阪大学医学部附属病因感染制御部
渡辺 彰 東北大学加齢医学研究所抗感染症開発部門
進藤有一郎 名古屋大学大学院医学系研究科呼吸器内科学
朝野 和典 大阪大学医学部附属病院感染制御部
石田 直 倉敷中央病院呼吸器内科
寺本 信嗣 筑波大学附属病院ひたちなか社会連携教育研究センター
門田 淳一 大分大学医学部総合内科学第二講座
作成協力者
今村 圭文 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科感染免疫学講座(第二内科)
■肺炎は日本の死因の第4位であり,高齢者ではその死亡率は極めて高い.肺炎による死亡者のなかで65歳以上の高齢者が占める割合は95%である.日本呼吸器学会では2000年に市中肺炎(CAP)診療ガイドライン,2002年に院内肺炎(HAP)診療ガイドラインを公表し,それぞれ2007年,2008年に改訂している.しかしながら高齢者肺炎に対する診療の規範として,両ガイドラインは不十分であった.その原因として,高齢者は病院と市中の中間的存在である介護施設などの医療関連施設に入所していることもあり,CAPとHAPの両方の特徴を持ち,若年者とは異なる予後を示してきたことが挙げられる.
■米国では胸部疾患医学会ATSおよび感染症学会IDSAが2005年に共同発表したHAP診療ガイドライン[1]の中で,医療ケア関連肺炎(HCAP;healthcare-associated pneumonia)として扱うことを提唱している.CAPの重症度判定はPSI,CURB-65などがあるが,この基準はHCAPでは役に立たないと報告されている[2,3].その原因として,ADLなど重症度評価に用いられない因子が影響していること,連続変数のカットオフ値がCAPとHCAPで異なること,治療の制限(DNR)などが挙げられた[4].
■本邦においてもHCAPは適応されるべきものであったが,米国と本邦で医療環境がかなり異なっているため,単純にHCAPを日本に導入できるものではない.米国には介護保険がなく,在宅医療を受けている患者はCAPには含まれている一方,米国では亜急性期療養施設やナーシングホームが多く存在し,これはHAPに含まれている.これを日本の現状と合わせてみると,米国のHCAPの範囲は狭く,日本には馴染まない.そこで,在宅医療を受けている患者から,長期療養病床群に入っている患者まで幅を広げたものが日本版のHCAP,すなわち医療介護関連肺炎(NHCAP;Nurseing and Hearlthcare-associated pneumonia)ということになる.
■NHCAPの患者は,重症度よりも区分が重視される.これは,HCAPにおいて,CAPとの比較で死亡率が高いが,有意に死亡率に差が出たのが重症ではなく中等症であったからである.さらに,HCAP患者においては中等症と重症ではほぼ同等であった.緑膿菌やMRSAなどの耐性菌検出割合は,CAPにおいては重症度に比例して高まるが,HCAPにおいては重症度は無関係であった.HCAPにおいては不適切な初期抗菌治療は死亡リスクを高め[5],起炎菌判明後にその抗菌スペクトラムを変更しても予後は変わらない[6]ことが分かっている.よって,重症度よりも耐性菌リスクを考慮した区分が必要となり,これが,HCAPを独立した肺炎カテゴリーとして区別する必要性がでてきた理由である[7].NHCAPも同様の考えとなっている.
■NHCAP患者の背景としてはCAP群と比較すると以下の点が特徴的である.
(1) 抗菌薬曝露歴
(2) 高齢
(3) 合併症が多く存在(特に中枢神経系疾患)
(4) 貧血,低ナトリウム血症,アシデミア
(5) 低アルブミン血症,BMI低値
(6) 誤嚥の関与が非常に多い
(7) ADL不良
このように,NHCAP患者では抗菌薬治療のみならず,適切な全身管理と誤嚥対策が必須となる[4].
■NHCAPにおけるもう一つの問題は高齢者医療という見地から見たときに生じる.長期的には改善が得られない症例に対する医療の継続に関しては現在も議論の決着がついておらず,日本老年期医学会もようやく重い腰を挙げたところである.治療区分の判断にあたっては主治医の倫理的裁量に委ねられているのが現状で,NHCAP診療ガイドラインにおいても抗菌薬選択にあたり,科学的エビデンスのみでなく倫理的要件も考慮し,提示している.
2.NHCAP診療ガイドラインの問題点
■どんなガイドラインも作成後は厳しい批判に曝されることはしばしばある.専門医師だけでなく専門外医師まで幅広く使用できるガイドラインは,「常識の範囲内」という枠の中で定められ,専門医師から見れば欠点も多数見えてくることとなる.問題はその指摘を作成委員がどこまで認識し,どう改訂していくかにかかっている.
※小生も本診療ガイドラインの内容には異論はあるうちの1人であり,担当患者の中で肺炎患者が最も多い呼吸器内科医ではあるが日常診療において本ガイドラインは使用していない.2012年4月7日にNHCAPフォーラムが東京で開催され,作成委員のうち数人が講演した.小生も参加したが,トータライザーまで使用し,NHCAPガイドラインを使用しない理由の第2位が「異論がある」であったにもかかわらず,作成委員は一言述べたに留まり,ディスカッションなしのほぼスルー状態であったのは残念でならない.
■まず第一に「そもそも社会背景が非常に複雑なNHCAP患者において診療ガイドラインを定める必要があるのか」という声が多いのも事実であり,これは学会・フォーラムで作成委員も感じるところであったようだ.口から食べ物を摂取するという,生物の生命維持上最も必要な機能が加齢により失われた時点で老衰とみなすべきなのかもしれず,これに対して明確な治療を定めることにも異論があるだろう.しかしながら,ガイドラインとはその専門の医師のみでなく,専門外の医師も使用するものであり,高度な専門性を有したり煩雑なものになることは極力避けるべきであり,その目的は専門外であっても標準レベルの治療方法を提示すること,その疾患における啓蒙であることが大きく挙げられることから,ガイドラインは少なくとも必要であろう.
■HCAPの概念そのものを否定する文献も存在する[8].HCAPの概念は抗菌薬の不必要に過剰なスペクトルカバーを行わせるものであり,HCAPというカテゴリーは不要であるとしている.
■NHCAPの社会背景や背景疾患などの複雑性を強調しているにもかかわらず,ガイドラインはほとんど抗菌治療に内容をさいている.作成委員が呼吸器・感染症医だけで作成したためこのような内容になったと思われるが,そもそもNHCAPの治療の場は在宅や施設から始まっており,根本治療といえども抗菌薬はその治療法の1つに過ぎない.NHCAP治療は医師だけでは困難で,本当に大変なのは抗菌薬治療が終了してからであり,あらゆる医療職がかかわって治療を行う必要があり,医師以外も使用できるガイドラインでなければならないはずである.超高齢化社会に向けて動いている日本の現状において抗菌薬治療だけを前面におしだしたガイドラインではとてもやってはいけないだろう.口腔外科,耳鼻咽喉科,消化器内科,理学療法士,言語聴覚士,看護士,介護福祉士などが作成にかかわっていないNHCAP診療ガイドラインでNHCAPの治療をすすめるのは問題である.口腔ケア,誤嚥予防薬,呼吸ケア,リハビリなど,NHCAP治療に必須となる各種治療がほとんど記載されておらず,これで本当に治療が行えるかはおおいに疑問がある.
※抗菌薬治療終了後からが誤嚥性肺炎との本当の戦いなのかもしれない.人工呼吸器装着患者におけるweaningと同様に,誤嚥性肺炎においては経口摂取の“weaning”を始める必要があり,スムーズな治療をすすめていくためにもプロトコルが必要である.このプロトコルにおいて抗菌薬の位置づけは最初だけに過ぎないことは容易に分かる.初期からの口腔ケア,リハビリから始まり,嚥下・咳反射刺激を与えつつ経口摂取訓練を開始,食後2時間の座位保持を経て嚥下訓練食を開始し,食上げを行いながら状態に応じてACE阻害薬,アマンタジン,シロスタゾール,半夏厚朴湯などを投与していく.こういった流れのバンドルを作成する重要性がガイドラインには全くない.NHCAPガイドライン発表から1年たった2012年の日本呼吸器学会学術講演会(神戸開催)においてもNHCAPや誤嚥性肺炎の演題は抗菌薬や基礎疾患背景,プロカルシトニンとの関係のみに留まった.
■治療区分を4群にわけており,とりわけ重要となるのが耐性菌リスクにより分けたB群とC群である.ここで注意したいのは,antibiogramである.地域ごとに耐性菌リスクは大きく異なり,耐性菌リスクが高いと判定されても実際の耐性菌保有率が高くないことはよく経験されることである.この場合,地域によってはガイドラインで推奨されている抗菌薬が過剰スペクトラムとなりえる.実際にはその地域のlocal factorとantibiogramをふまえた抗菌治療を行わなければならない.しかしながらここまでの内容をガイドラインに記載するのは,専門外医師も使用することを考えれば,感染症治療の専門性を要求するという意味で常識の範囲を逸脱してしまう.それならば,各総合病院の感染対策室がその地域のlocal factorとantibiogramを明確に提示し,地域全体の抗菌薬適正使用を啓発する文面を強調して記載すべきである.
※当院の地域では誤嚥性肺炎患者に経口第3世代セフェム薬を投与して治療を開始する老健施設の嘱託医が非常に多くみられるが,当院以外の地域でも同様の現象が非常に多くあるようである.スペクトラムをはずしているどころか抗菌薬としてほぼ無効であろう経口第3世代セフェムをこのように使用されているのを見れば,NHCAPガイドラインのいったいどこに問題点があるのか浮き彫りになってくるはずだ.
■NHCAP患者から耐性菌が検出されることが多いのは誰もが経験していることだが,検出菌が必ずしも原因菌ではないこともしばしば経験される.実際,緑膿菌やMRSAの肺炎はそこまで頻繁に経験するものではない.ガイドラインの根拠となっている耐性菌率がはたして現場にマッチしたものなのかを検証することは非常に難しいため,ガイドラインにこれ以上のことを要求するのは不可能だろう.しかしながら,超広域スペクトラムをあまり使用せずとも治療成績がよい施設も多い.また,同一菌の誤嚥を繰り返す患者も多いことは記憶しておくべきことだろう.
※小生の病院の誤嚥性肺炎ではほとんどがSBT/ABPC(ユナシン®)で治療可能であるし,カルバペネム系,キノロン系,アミノグリコシド系は全くと言っていいほど使用していない.緑膿菌もPIPC(ペントシリン®)やCAZ(モダシン®)で十分治療可能であり,MRSAの検出率はそれなりにあるが,抗MRSA薬の使用数も非常に少ない.そもそも過剰な広域抗菌薬を投与するから耐性菌検出率が上昇し,耐性菌による感染症発症も生じてくるわけである.NHCAP診療ガイドラインの推奨抗菌薬は米国のものに比しておさえてはいるが,それでもまだ過剰な印象があり,逆に耐性菌増加に繋がりかねない.
[1] Am J Respir Crit Care Med 2005; 171: 388-416
[2] Intern Emerg Med 2011 ; 6: 431-6
[3] Respirology 2008; 13: 731-5
[4] Intern Emerg Med 2011; 6: 389-91
[5] Int J Infect Dis 2011; 15: e545-50
[6] Chest 2008; 134: 963-8
[7] Chest 2009; 135: 633-40
[8] Lancet Infect Dis 2010; 10; 279-87