【雑感】イレッサ訴訟,最高裁が上告棄却し原告敗訴
■肺腺癌の治療薬であるイレッサ®(一般名Gefinitib,AstraZeneca社製造販売)の副作用による間質性肺炎で患者が死亡し,遺族ら原告団15名が国と製薬メーカーであるAZ社相手に訴訟を起こした裁判は,最終的に平成25年4月12日に最高裁で「国とAZ社に責任はない」として上告を棄却し,原告団が敗訴する結果で8年間にわたるイレッサ訴訟が終結した.
■マスコミはこの結果に対して最高裁の判断を批判,国の責任を追及する内容を報じている.インターネット上でもこのマスコミの流れにのって最高裁,国,AZ社を批判している声が見受けられる.一方,Twitterでは私をはじめ複数の医師が今回の裁判のどこに問題があったかを指摘する内容をツイートし,議論にもなっている.その中で分かったのは,多くの人が裁判の詳細を知らず,医師の役割が誤解されていたことであった.以下に小生の意見を述べる.
1.亡くなった患者の主治医には責任はないのか?
■当然ながら責任がある.原告団の陳述内容では,亡くなった患者の主治医は添付文書を読んでいるとは思えない対応をしている.服用前に重大な副作用の内容を説明していない,服用後に十分な経過観察を行っていない,挙句の果てに,副作用である間質性肺炎を新聞で見て気がつく(この医師は呼吸状態が悪化した患者に12日間何をしていたのか?)というレベルである.重大な副作用も把握せず,説明義務を怠った主治医の責任は問われて当然のものであり,主治医を相手に訴えれば主治医が負けることは明白である.
■原告団の主張では,イレッサ®副作用による間質性肺炎の死亡事例は800例にのぼるとしている.しかし,テレビニュースでも連日のように報道され,他の遺族への参加を呼びかけたにもかかわらず,原告団に加わったのはわずか15名であり,死亡事例の2%にも満たない.実際には医師と良好なインフォームドコンセントのもとに薬剤投与がなされたケースが多く,副作用による死亡となっても患者自身が了承済みであった.この原告団15名はいわゆるモンスターペイシェントではなく,主治医と十分なインフォームドコンセントを得ていなかった被害者であり,原告団の陳述内容がそれを示している.
2.誇大広告に問題はなかったのか?
■イレッサ®を「夢の新薬」と言って誇大広告を打ち出したのはAZ社ではなく他ならぬマスコミである.市販薬でない以上,製薬メーカーが新聞やテレビで新薬を宣伝することはない.AZ社がマスコミを買収していたとの憶測もあるが,陰謀論に過ぎず,根拠は不明であり,そもそも買収有無は社会的問題ではあっても今回の訴訟の主旨とは無関係である.誇大広告は医師が薬剤を不適切に処方する原因にはならず,もし原因になることがあればそれは医師の責任である.誇大広告は問題とはならない.
■ここでひとつ,多くの一般の方々が誤解している内容に触れておく.原告団は陳述で明らかに医師の対応に問題があったと述べた一方で,「医師に責任がある」とした国の主張には反対し,誇大広告が原因だとして間接的に医師を擁護するという不可解な主張を展開していた.イレッサ®の誇大広告に問題患者やその家族が新薬の誇大広告の影響を受けやすいことは容易に想像できる.だが,医師も同様であるとする誤解が非常に多い.どんな誇大広告であっても医師はその広告のみをもって薬剤の処方を判断するのではない.これは論文でも同じで,どういう内容の論文であっても,それがたとえ自分の主張を支持する内容の論文であっても,医師は批判的吟味をもって査読する.患者や家族が新薬の誇大広告にのせられてしまった時に,その新薬を処方する権限を有する医師は患者や家族にとっての最後の防波堤である.もし広告のみで判断するような医師であれば医師としての資質が問われるべきであることは疑う余地もなく,広告で処方が左右されることが普通なのであればそもそも医師の処方の権限など不要である.
3.添付文書には問題はなかったか?
■イレッサ®は治験段階では3例で間質性肺炎があり,いずれも治療で軽快している.治験外使用では7例で間質性肺炎を発症し,3例が死亡している.承認前に判明していた間質性肺炎は,国内臨床sh件では133例中3例,治験外使用では296例中2例,海外を含めると1万人以上で10例前後だったとされている.このように副作用事例数が少なく,このデータのみではイレッサ®による副作用と断定は困難である(特発性間質性肺炎なども可能性もあるから).また,もともと肺癌に癌性リンパ管症が発生することは珍しくなく,間質性肺炎との鑑別が困難なこともしばしば経験しうる.以上から,もしかするとイレッサ®による薬剤性間質性肺炎なのかもしれない,という程度の漠然とした危険性しか推測できない.
■にもかかわらず,当時のイレッサの添付文書でも間質性肺炎は重大な副作用に分類され,「間質性肺炎(頻度不明):間質性肺炎が現れることがあるので,観察を十分に行い,異常が認められた場合には投与を中止し,適切な処置を行うこと」と記載されたことは十分過ぎるといっても過言ではない扱いであると思われる.添付文書の重大な副作用で間質性肺炎が4番目に記載されていたことを問題視する声もあるが,順番は何ら関係がない.順番にかかわらず重大な副作用のすべてをチェックすることは当然であり,それをせずに新薬を処方するならばそれは医師の責任である.新薬では治験時と副作用の頻度が異なることはよくあり,治験時にはみられなかった副作用がでてくることもある,そういったことは医師ならば当然知っていることであり,それを軽くみてしまった主治医にかかった患者が今回の被害者である.
4.イレッサ®は効かない薬か?
■イレッサ®が肺腺癌EGFR遺伝子変異陽性患者で非常によく効くことはすでに数々の報告が示している通りであり,実臨床でも経験される.効かない薬では断じてない.そもそもこの裁判はイレッサ®の副作用が主たる内容の裁判であったはずである.しかしながら,原告団の主張は途中から「イレッサ®は効果がなく間質性肺炎という恐ろしい副作用をもつ悪魔の薬であり,イレッサ®は根絶されなければならない」という本来の主旨とは違う方向に変わっていった.イレッサ®の効果の検証は原告団のみでは不可能であり,誰かが原告団に働きかけ,裁判の方向性を変えてしまったことになる.公開された原告団の手記で,原告団がある人物と接触したことが分かる.その人物こそがNPO法人医薬ビジランスセンター理事長である浜六郎氏である.
■浜六郎氏は医師であり,薬剤の副作用について警鐘をならす講演や書籍出版を行っており,有名なものではタミフルによる異常行動の副作用リスクにもかかわっている.浜六郎氏は社会的に話題にあがっている薬剤において副作用事例があった場合,過敏なまでに反応し,有効性を無視してまで副作用を強調し,そこから既知のデータに恣意的なバイアスを加え,あたかもその薬には効能すらないかのうように読者をミスリードさせて,その薬剤を根絶させるべきとの主張にもっていくのが常套手段である.この浜六郎氏の論法を革新的とみて,内容を吟味できない一部の熱狂的ファンもいる.薬剤のリスクとベネフィットを無視していることは明らかで,裁判の主旨が変わってしまったこともふまえれば,原告団が浜六郎氏に容易に洗脳された可能性もある.
■浜六郎氏と弁護団はイレッサ®の副作用死率が他の抗癌剤と比較して突出して高いと主張し,死亡率の表を提示したが,この表は年度別の死亡率を出さずに累積死亡率だけを出すという極めて不可解なものであり,情報を巧妙に細工していたことがうかがわれる.これは単年度死亡率だと低くなってしまい,イレッサ®を悪魔の薬に仕立て上げるには不都合であったからと推察される.国立癌研究センター中央病院での文献を見れば,他の抗癌剤の使用し始めた頃の数値と普及時の数値を比べるとイレッサ®と差があるわけではない.原告団の提示したデータは捏造ではないがミスリードを引き起こすものである.
■イレッサ®の生存期間延長効果をみる研究としてはまず従来からの抗癌剤にイレッサ®を併用した2つの試験がある.すなわち,GEM+CDDP治療にイレッサ®を上乗せしたINTACT-1試験と,PTX+CBCDA治療にイレッサ®を上乗せしたINTACT-2試験があり,この2試験によりイレッサ®の“上乗せによる”生存期間延長効果はないことが示されている.ただし,これは強調したようにあくまでも上乗せ効果の検討であることに注意されたい.薬剤の併用は,元の治療が有効であれば上乗せ効果が現れにくいことはしばしばあり,薬剤同士の相互作用でむしろ治療効果が減弱したり副作用が出現しやすくなったりもする.よって,上乗せ効果が否定されたことはその薬剤に効果がないことを意味しない.
■しかし,浜六郎氏はこの2つの研究結果を受けてこの2試験が上乗せ効果を検討した併用試験であることをほとんど書かず,あたかもイレッサ®単剤の試験で生存期間延長効果がなかったかのように主張し,それをマスコミが報道することで「イレッサ®は無効」の誤解が拡大していったのである.
■イレッサ単剤の効果はその後行われたISEL試験で検討され,アジア人,非喫煙者においてはイレッサ®はプラセボ群(効果のない偽薬を服用した群)よりも有意に生存期間を延長させることが示されている.このことからイレッサ®の効果が期待できる因子を満たす患者にイレッサ®が著効する可能性が示唆された.さらに,ISEL試験を根拠としてイレッサ®の効果が期待できる患者を対象としてイレッサ®と従来の抗癌剤(CDDP+PTX)を比較したIPASS試験が行われ,イレッサ®の方が有意に生存期間を延長することが示された.また,この試験においてEGFR遺伝子変異陽性の患者においては特にイレッサ®の無増悪生存期間が有意に延長することが示され,逆にEGFR遺伝子変異陰性患者では効果が従来の化学療法群より劣ることが示された.以上から,適切に症例を選択することでイレッサ®による治療は従来の化学療法よりも優れた効果があることが示された.
■その後も数々の試験においてイレッサ®の有効性が示され,2009年には欧州医薬品局もイレッサ®の販売承認を行っている.日本においても現在ではEGFR遺伝子変異陽性の肺癌患者が適応となっている.
5.国の対応は適切だったか?
■原告団は「イレッサ®が奏功率(癌縮小)だけで承認されたことを陰謀である,生存期間の延長がない(実際にはあったわけだが)医薬品は承認すべきではない,イレッサ®だけを特別扱いするのは日本独特の製薬会社との不正な癒着だ」と主張した.しかし,実際には米国FDAも奏功率だけでイレッサ®を承認しており,日本独特の陰謀というものはあてはまらない.
■イレッサ®が厚労賞からスピード承認されたことについて,審査が甘いと指摘する声もあるが,それは誤解である.薬剤承認される際は,多数の薬剤が審査待ちの状態にある(いわゆるドラッグ・ラグである).スピード承認とは,必要性が高い薬剤を優先して審査までの順番待ちの期間をなくしただけであり,審査そのものが短縮したわけではない.単なる事務処理手続き上の優先処理の結果であり,審査がおろそかになったわけではない.ただでさえ使用可能な抗癌剤が少ない日本においてイレッサ®が順番待ち期間を解除されるのは必然の流れであった.一度和解勧告がでたことがあるが,実はこれは裁判所が自発的にだしたものではなく,原告側から和解勧告を求める上申書が提出されている.この中で「承認を急ぐあまり十分な検討がなされず,効かない薬を承認した」については和解勧告のポイントではないことをしつこく原告側は主張している.
■イレッサ®承認後はどうか.2002年7月16日にイレッサ®は販売開始となり,10月までの報告全体では110例(51例)の間質性肺炎が報告されたが,厚労省はこのうち最初の4例(2例が死亡)の報告を受けただけでただちにAZ社に対して添付文書改訂と緊急安全性情報の作成及び医療機関等への配布を指示していた.国の対応は迅速だったのである.その後,緊急安全性情報が各施設に周知徹底するまでの時間や副作用発現までの時間,死亡事例の報告までの時間などのタイムラグもあって11月には被害がピークに達したものの,その後は減少に転じている.厚労省の迅速な対応が奏功していたのである.添付文書の件も含め,予知能力がない限りこれ以上の対応は不可能だろう.
6.AZ社の対応は適切であったか?
■AZ社が副作用の可能性のある症例の情報の開示に消極的であったことは事実である.法的責任とは別であっても社会的に患者の利益になるのであれば積極的に行うべきであり,そういう点ではAZ社の責任有無には議論の余地があるかもしれない(もっとも長期社会的利益不利益の問題であるが).もっともこのあたりは薬事と製造法責任が別であり,法律上の詳細までは私も把握できておらず,法的内容についてはコメントしない.
7.裁判の意義
■明らかなに問題があった患者の主治医の責任が争点とならず,それどころか途中からイレッサ®の有効性有無,イレッサ®根絶という本来議論すべき争点から大幅に乖離した内容となった.医師を訴えても何も変わらない,国を訴えることに社会的意義がある,等の意見も散見されるが,結果的に患者遺族には何も残らなかったのである.医師を訴えれば勝訴した可能性は高く,補償も残っただろう.浜六郎氏が裁判にかかわったことで,医師の責任問題がむしろ邪魔なものとなってしまう結果となったのは社会的にも大きな損失だと思われる.
■医師を訴えても何も変わらない,という意見には異議がある.医療訴訟が当たり前の時代になって,これまで多数の示談や裁判が行われてきたが,それらの判例は医療現場において生かされていることも事実である.
■最高裁の結果を受けて医薬ビジランスセンターのホームページでは浜六郎氏の緊急声明が掲載された.推測でバイアスをかけた論調に加え,「企業が,副作用が少ない夢の新薬であるという宣伝を行い,添付文書の警告も不十分であったために起きた,という点が問題の本質ではない」「宣伝や添付文書の記載不十分,要望書下書きといった,ある意味,些末な問題に論点が絞り込まれてしまったために,裁判所の判断を誤らせてしまったのではないか,と考える次第である.」と言い,この裁判の本質として最後までイレッサ®の効果有無の話に終始している.いったい原告団の陳述は何だったのか?彼には薬しか見ていないのか?依然としてメリット・デメリットのバランスの検証は怠ったままであることはむしろ社会にとって害でしかない.これでは自分の医薬ビジランスセンターの主張を達成させるために裁判を利用したようにしか見えない.裁判の本質を問うのは原告団であって浜六郎氏ではないはずである.