針刺し事故防止対策 ~「針刺しゼロの日」にちなんで~
■2013年7月に職業感染制御研究会は,8月30日を「8=針,3=刺し,0=ゼロ」の願いを込めて「針刺しゼロの日」に制定することを発表した.以下に,針刺し事故の実態を報告した文献をまじえて針刺し予防についてまとめた.
■欧米諸国では,血液・体液曝露予防のためのサーベランスデータの収集・解析システムであるEPINet(Exposure Prevention Information Network)が普及しており[1],針刺しのみならず,切創,皮膚・粘膜曝露に関して集積された情報をもとに感染対策への解析が進んでいる.このEPINetに約50病院から集積されたデータにより曝露防止対策が論理的に講じられ,個々の対策の有効性と限界をも明確にした.現在EPINetは米国,イタリア,カナダ,オーストラリア,ブラジル,日本などが採用し,曝露防止対策を推進している.本邦でも全国の医療機関が共有できる情報収集システムを構築する必要があり[2],職業感染制御研究会が日本版EPINetを立ち上げている.日本版EPINetの目的として,曝露実態の正確な把握,曝露原因の追究と曝露予防策の計画,実施された曝露予防策の評価がある.同時に,各施設の予防策のみならず,より安全性の高い鋭利器材の開発も推進しうる.
■日本版EPINetを用いることで,日本の針刺しの実態が明らかとなり,米国との比較もなされている[3].1997年時の針刺し,切創,皮膚・粘膜曝露の事象では,リキャップ時の針刺しが日本では25%であったのに対し米国はわずか3%であった.その米国も1986年時は25%であり,その後の対策によって米国では劇的にリキャップ時針刺し事故が減少したことが分かる.
※キャップを置き,そこに針付き注射針を挿入してすくいあげるようにしてリキャップを行うケースがある.比較的安全なように見えるが,斜めに入った状態でそのままリキャップした場合,実は注射針がプラスチックキャップを貫通し,キャップ外に針が突出した状態となり針刺しが生じることがある.
■1996-1998年の3年間のHIV研究班による本邦エイズ拠点病院を対象とした調査では,針刺し事故は11798件生じており,100床あたり4件であった.汚染源となった患者の感染症はHCVが7708件,HBVが1862件,HIVが88件であり,明らかな発症はHCVの28件であった.発生状況は,リキャップ時が26%,鋭利器材使用中が22%,使用後廃棄までが22%であった.使用目的別には,注射器を用いた経皮的注射が3053例(26%),静脈採血が2108例(18%),血管確保1933例(17%)の順に多く,これらのうち15-20%が病室の外で発生している.経皮的注射の針刺し事故3053例中1345例(44%)は病室内で発生し,そのうち60%がリキャップによるもので,「使い捨て注射器」「翼状針」「ペンあるいはカートリッジ式インスリン注射用針」であった.また,病室外発生では「リキャップ」「廃棄容器に入れる時」が多い.職種別では,7662例(65%)が看護師および准看護師,3017例(26%)が医師および研修医であった.
※中心静脈カテーテル挿入後の固定の際,縫合セットではなくピンク針を用いるケースがあるが,これも感染対策の観点から見れば当然ながら行うべきではない.
■和田らは,病床数と針刺し切創件数の関連性を報告している[4].日本版EPINetに参加している67病院のデータの解析で,1年間の100稼動病床あたりの針刺し件数を(針刺し件数)/(病床数)×100で算出したところ,400床未満で4.8(95%CI 4.1-5.6),400-799床で6.7(95%CI 5.9-7.4),800床以上で7.6(95%CI 6.7-8.5)であり,稼動病床数規模に応じて針刺し発生件数が有意に増加していた(p<0.01).
■布施は看護師323例を対象に針刺し事故の解析を行った[5].1年間の針刺し事故体験者は84例(27.7%)であった.針刺し回数は1回が49.0%,2回が22.0%,3回が18.0%,4回が1.2%,5回以上が9.6%であった.針刺し事故体験者は体験のないものに比べ,経験年数が有意に少なかった(8.9年vs11.6年, p<0.001).針刺し事故切傷部位の分布では,左第2指が35.7%,右第2指27.3%,右第1指9.5%,右第3指7.2%,左第3指7.2%であった.針刺し事故発生時の状況が日頃の勤務状況と異なったかについては,「違いなし」が67.9%,「あり」が27.4%であった.針刺し事故発生に影響を与えると考えられる日常業務14項目のうち,針刺し体験有無と有意な関連性があったのは,注射器操作の熟練度,針刺しのヒヤリ体験,穿刺後のリキャップであった.
■2011年に渋谷によって日本全国での訪問看護師1000名に対する針刺し事故の調査結果が初めて行われた[6].針刺し事故経験は35.7%にみられ,直近1年間での針刺し経験は5.0%であった.また,針刺し経験者のうち92.1%が手袋未着用であった.針刺し発生後,24時間以内に職場に報告した対象者の割合は66.4%,24時間以上経ってから報告した者は0.9%,何も報告しなかった者は23.0%であった.針刺しが起きた状況は,使用済み注射針のリキャップ時が31.9%と最も多かった.
■針刺し事故で特に問題となるのはB型肝炎ウイルス(HBV),C型肝炎ウイルス(HCV),ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の3種である.これらは血液や体液が直接ヒト体内に入ることにより伝播するため,針刺し事故で感染しうる.これら3種のウイルスは予防策は同一であり,また,これらのウイルスの存在に関係なく,全ての血液・体液などを危険な感染物とみなして標準予防策を行う[7].それぞれウイルスの針刺し事故による感染リスクは「3の法則」で,HBV 30%,HCV 3%,HIV 0.3%と覚えるとよい.厳密には,HBV 1-62%[8],HCV 1.8%(Range 0-7%)[9-12],HIV 0.3%(95%CI 0.2%-0.5%)[13]である.HBVは感染源がHBs抗原(+),HBe抗原(+)であれば肝炎進展リスクは22-31%,血清学的進展リスクは37-62%であり,HBs抗原(+),HBe抗原(-)であれば肝炎進展リスクは1-6%,血清学的進展リスクは23-37%である[8].
■使用済み注射針は感染症の有無にかかわらず,原則としてリキャップをしないで使用した状態のまま(針の取り外しなどをしない),直ちに堅固な医療用廃棄物容器に廃棄する[14,15].医療用廃棄物容器については,廃棄物が容易に取り出せないような構造であることが望ましい.不用意な廃棄時の事故(手を容器内部に入れるなど)を防ぐため,容器の廃棄口径は各種器材の廃棄に適した必要最低限の大きさ(蓋付き)または安全な開閉デザイン(一定量で自動的に閉鎖)が望ましい.廃棄容器が満杯状態あるいは廃棄した鋭利器材が廃棄口から飛び出す場合など,廃棄時や廃棄後の針刺しの危険を生じるため,容量が80%程度で新しいものに交換する.また,多量の鋭利物を一度に廃棄する場合,押し込むことで廃棄容器の材質によっては過度の圧力や負荷に耐えられない場合もあり,無理をして余計な危険を招かないように注意する.なお,点滴作成台の上の針捨て用の廃棄物容器には患者に使用した後の針は捨ててはならない.
■また,安全器材の導入を積極的に進める必要もある[15,16].安全器材の導入は,同時に慣れていない新しい医療器材導入によるエラー発生リスクも生じうることを意味する.よって,医療現場で使いこなせることができるかどうかを検討し,器材メーカー主催での使用説明会を行い,その器材に慣れて徹底的に使いこなせるようにする必要がある.さらに,手術での器械の受け渡しによる受傷を防ぐため,鋭利な形状の器械を同時に2人以上が触れないことを原則にする.たとえば鋭利器材を渡すためにトレイなどを使い,トレイ上でのやり取りによって,直接の素手の交差を避けるなどのハンズフリーテクニックが必要である.同様に,床に落ちた鋭利器材を処理する上で磁石やしっかり把持できるクズバサミなどを使用する.
■針刺し事故時の感染リスクを下げるためにも手袋装着は重要である(感染リスクが半減する).
■米国では1998年に初めてカリフォルニア州で針刺し事故防止法が制定,2000年にはクリントン大統領により同法律が連邦法に格上げされ,安全器材の使用,針刺し報告と予防計画の作成が全米で義務付けられた.
■針刺し事故が生じた場合は,施行していた医療行為等をただちに中止し,血液・体液を速やかに除去する必要がある.具体的には,大量流水による洗浄と消毒薬(ポビドンヨードや消毒用エタノールが適しているとされる[17,18]).さらに,事故について上司,院内感染対策スタッフに直ちに報告し,日本版EPINetによる曝露報告書を院内感染対策委員会に提出する[16,19].曝露時の状況や曝露者の感染状況に応じて追跡検査は少なくとも1年間行う[20,21].
[1] University of Verginia Health System International Healthcare Worker Safety Center
http://www.healthcaresystem.virginia.edu/internet/epinet/
[2] 日本医科器械学会職業感染対策委員会.誤刺による感染防止に関するガイドライン.医器学 1996; 66: 46-85
[3] 木戸内清.針刺し事故の広域調査.Infection Control 1999; 8: 344-8
[4] 和田耕治,吉川徹,李宗子,他.エピネット日本版サーベイランス参加病院における稼動病床毎の針刺し切創件数.第28回日本環境感染学会総会O71-4
[5] 布施淳子.総合病院1施設の看護婦における刺傷事故の実態と発生要因.環境感染 1998; 13: 167-72
[6] 渋谷智恵.全国の訪問看護師の血液・体液曝露の実態と今後の課題.環境感染誌 2012; 37: 380-8
[7] Garner JS. Guideline for isolation precautions in hospitals. Part I. Evolution of isolation practices, Hospital Infection Control Practices Advisory Committee. Am J Infect Control 1996; 24: 24-31
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[21] Ciesielski CA, Metler RP. Duration of time between exposure and seroconversion in healthcare workers with occupationally acquired infection with human immunodeficiency virus. Am J Med 1997; 102: 115-6