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EARLの医学ノート

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敗血症をメインとした集中治療,感染症,呼吸器のノート.Stop Sepsis, Save Lives.

【雑記】高齢者医療において延命はだめなのか?

■ここ数日でテレビやSNSにおいて高齢者の延命治療の問題が話題となっている.ことの発端は大口病院で起きた点滴内消毒剤混入による殺人事件の被疑者が逮捕されたことによる.そして,Twitterにおいて療養病床に勤務する看護師が大口病院にからめて高齢者の延命治療に関して持論を展開し,それらのツイートが多数の人達に大量にリツイートで拡散されていき,まとめサイトにも投稿された.高齢者の延命治療の問題が議論され,一般市民にも浸透することは有益であるが,今回のSNSでの一連の流れで危惧していたことが現実になっているため,ここに批判を記しておく.

1.SNSにおけるとある看護師のツイートについて

■拡散した看護師のツイートを見るに,自身の病院での治療・ケアの実態が書かれていて,療養病床での悲惨さを訴えられている.私も急性期に勤めつつ非常勤で療養病床や在宅往診をやっていたが,この看護師のツイートには杜撰というか不可思議というかそういう医療行為が随所に見られ,高齢者医療が悲惨というよりもその施設独特の看護ケアの慣習が悲惨なことになっているのではないか?高齢者延命問題を語る前にまずその医療行為レベルをどうにかすべきでは?という印象を受けるが,そこは本題からずれるのであえてこれ以上はつっこまない(ただ勉強はし直してほしい).

■なぜ大口病院殺人事件と高齢者延命問題を関連づけたのかである.かの事件はさっそう大量殺人に他ならず,安楽死でも尊厳死でもない.容疑者の供述である「自分の勤務時間帯に患者が亡くなると家族に説明するのが面倒だった」「20人以上でやった」が事実だとすれば,それはもう医療従事者どころか人としての一線を大きく踏み越えた上にそれを20回以上も常習的に行っていたわけで,この事件をきっかけにするには前提条件があまりに異なる.

■ツイートした看護師は,容疑者を擁護しているつもりはないとしつつも「私も同じことをしたかもしれない」と書いており,職場環境の問題があったとしても療養病床に入院している患者の家族がこのツイートを見るとどう思うかである.自分の勤務時間帯に患者が亡くなれば当然仕事量が増え,家族対応も必要になる.そういう意味では,それを回避したいという気持ちがでることはあるだろうが,それと「だから殺す」は全く別物であり,これで共感するというならその職場を去るべきだろう.

■加えて,療養病床の実態をツイートするにあたり,年金目当てで延命を希望する家族を持ち出し,ことさら強調している.確かに年金目当ての延命希望をする家族は私も経験があるが,このようなケースはほんのごく一部に過ぎない.しかし,このツイートから「療養病床にいる高齢患者の家族は年金目当てばかり」という誤解が発生しかねない,と思っていたら見事に「年金で貰える金のために延命させられる高齢者医療の現実」というタイトルで看護師のツイートがまとめサイトに投稿されてしまった.ああいうツイートをすればこういうことが起こることくらい想像がつかなかったのだろうか?高齢患者全体にマイナスイメージがついてしまうのはよくない風潮である.

■繰り返すが,終末期の高齢患者のうち,年金目当ての延命希望ケースはほんのごく一部に過ぎない.なのにそれをことさらに強調して高齢者延命問題を議論するのは全くの不毛である.誤った結論にいきつくだけであるし,年金目当てではない大部分の高齢患者やその家族には適用できるわけがないからである.

■そしてなぜか,年金目当ての延命希望をした患者家族のツイートだけはハッシュタグで「#大口病院」をつけていた.これではあたかも大口病院で殺された犠牲者が年金目当てで延命されていたかのような書き方になっている.大口病院の話をどうしてもからめたいなら犠牲者目線もいれるべきであろうが,そこへの配慮は皆無としか言いようがない.

■高齢者医療の理想を語るのはいいが,「現場の看護師として実情を訴えたい」のであれば,大局的な話ではなく,患者やその家族一人一人がなぜ延命を選択したかも配慮すべきである.極端例だけを持ち出しても誤解しか生まれない.

2.高齢者延命問題にからむ固定観念

■最近,「患者は高齢だから一律に延命不要」という,高齢者を一括りにしてしまう主張をする医療従事者をSNSや某医療従事者コミュニティで散見する.書き込みを見ると実際に実臨床でそういうプラクティスをされておられるが,これはこれでかなり問題だなと感じている.

■高齢者の終末期延命問題に関しては,既に複数の学会から声明等を出しており,QOL/QOD(生活の質/死の質)や終活といった話が活発化しているし,私自身も高齢者の肺炎について,治療により救命はしうるがQOLが下がることの懸念から安易な延命には慎重になる必要があるとのレビューをいくつか執筆している.

■だが,勘違いしてはいけないのは,これらは「延命はダメ」という話ではないということである.これらの高齢者延命問題に対する方向性は,あくまでもエビデンスや臨床現場や学会意見等をふまえた最大公約数的なものに過ぎず,それがすべてではないし,肝心のエビデンスもまだ非常に脆弱であり,ゴールデンスタンダードと呼べるものがあるような領域ではない.

■なので,高齢であるから延命した場合に何が想定されるかの説明を家族にした上での提案程度ならよいが,「高齢だから治療は一律に無意味」という主義主張は暴論になりかねず,インフォームドコンセントのプロセスもすっ飛ばしてその主義主張を医療従事者が患者家族に対して一方的に強引に押し付けることはあってはならない.個々の患者での対応を考えるべき現場の医師がこれをやっては本末転倒である.

■無論,自分の家族の死を決定してしまうという葛藤から延命を希望されるケースも少なくないし,そういう話をこちらから出した直後は特に多い.だが,その後は家族内での話合い等を経ていくと,その延命希望の理由は詳しく聞けば患者家族ごとに様々であり,それらを無視して医療費問題や年金問題に安易につなげるのはいかがなものかと思う.

■延命はダメだということを前提条件にしていたり,患者や家族が延命を選択した理由の考慮をしていなかったりすると間違った延命バッシングにいきかねないし,そういうバッシングが出てきてしまっているのが事実である.延命問題を議論する上で,医療従事者側の事情だけが先行するのは避けるべきだろう.

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by DrMagicianEARL | 2018-07-13 14:38 | Comments(0)

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